[コラム]「高校はアイデンティティを決めるのか」―日本と韓国の学校文化から見える差異と多様性―

先日、日本にある韓国学校の行事に参加する機会があった。普段、子どもたちは日本の学校に通っているため、今の韓国の学校――特に行事の雰囲気――を直接経験することはほとんどなかった。しかし実際に訪れてみると、日本の学校と比べて雰囲気がかなり異なり、新鮮な「カルチャーショック」を受けた。

日本の学校では、卒業式や入学式、運動会などの公式行事の際、秩序正しさが際立つことが多い。たとえば写真撮影の場合、後ろの人の視界を遮らないよう撮影場所が指定されるなど、細かなルールがある。そして多くの学校では、運動会や卒業式などの行事で撮影した写真や動画をSNSにアップロードする行為を厳しく禁止している。生徒のプライバシー保護や秩序の維持が主な理由である。

これに対して、私が見学した韓国学校の行事ははるかに自由な雰囲気であった。保護者は自席から立ち上がって写真を撮ったり、隣同士で談笑しながら撮影したりしており、規制らしい規制はあまり見られなかったのである。日本の感覚からすると「こんなに自由で大丈夫なのか」と思うほどの光景であった。

そもそも学校は、その国の教育方針や文化を凝縮して映し出す場である。そしてどの国や地域で教育を受けたかが、個人のアイデンティティ形成に大きな影響を与えると考えられる。近年では、両親の国籍が異なる、あるいは複数の国で育つなど、「自分は一体どの国の人間なのか」という問いを若いうちから抱える人も少なくない。

私は「高校をどこで卒業したか」が、その人のアイデンティティを考えるうえで重要な指標になると思っている。小中学生の頃は保護者の影響が大きいが、高校生になるとある程度自分の価値観や考え方を持ちはじめる時期に入るからである。大学は個人の意思で進学を決めることが多いため、いわば義務教育に近い最後の段階である高校時代こそが、「自分は何者か」を形作るうえで大きな役割を果たすのである。

日本と韓国の学校文化がここまで異なるように、国境を越えればなおさら文化や価値観の違いは顕著になる。同じ国内でも地域や学校によって特色が大きく変わるのは言うまでもない。だからこそ、それらの違いを受け入れ、互いに理解し合う姿勢こそが、多様化の進む社会で衝突を回避し、尊重し合うための鍵となるのである。

重要なのは「違いがあって当然」という前提を受け入れ、その違いを学びや発見の機会に変えることである。初めて目にする光景に戸惑いが生じたとしても、「こういうやり方もあるのだな」と受け止める柔軟性が、私たちの視野を広げてくれるのではないだろうか。そして高校時代の体験は、そうした姿勢を養う大きな転機になると信じている。

「文化の違いを認めたとき、初めて真の理解が芽生えるのである」

多文化・多様性の時代を生き抜くうえで、欠かせない基本姿勢と言えよう。

ソン ウォンソ(Wonsuh Song, Ph.D.)
秀明大学 専任講師 / NKNGO Forum 代表

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