[コラム] もう一度新聞を開くということ

かつては当たり前の光景であった。朝、郵便受けに届いたばかりの新聞を手に取り、コーヒーとともに一日を始める。紙の手触り、印字の濃淡、指先に残るインクの香り。すべてが日常の一部であった。私はそんな新聞を愛してきた人間である。そして、今でもできればそうありたいと思っている。

中でも私は長年、「日本経済新聞」を愛読してきた。経済専門紙ならではの視点と深み、単なる見出しにとどまらず、社会の構造や経済の流れを言葉の間に感じ取ることができた。しかしいつの間にか、その新聞が我が家に積まれていった。読みきれなかった新聞を、宿題をするような気持ちで読む日々が続いた。

そこで一度、電子版への切り替えを試みた。紙の煩わしさから解放され、検索機能やアーカイブの便利さもあった。しかし、なぜか読む量が減った。画面を開かないと情報に触れられず、通知が来なければ見落としてしまう。ページをめくるという「読む行為」そのものが薄れてしまったように感じた。そうして私は再び紙に戻った。

だが、今また電子版に挑戦してみようという気持ちが芽生えている。大学に行けば新聞も設置されているし、学内で静かに読む時間はむしろ貴重だ。そして何より、現代のニュース消費のあり方に疑問を感じている。多くの人がポータルサイトに並ぶ刺激的な見出しだけをクリックして終わってしまう。そうした情報は「ニュース」ではなく、ただの断片である。

私たちは今、あらゆる情報に簡単にアクセスできる時代に生きている。しかしその分、何も深く知ろうとしなくなってはいないだろうか。無料で手に入る情報に頼り、クリックだけで済ませてしまう現状は、報道の本質を遠ざけてしまっている。だからこそ、私はもう一度新聞を読みたい。情報を得るためではなく、考えるための余白を得るために。

「日経新聞」の紙面の購読は今は止めているが、その価値は今も心に残っている。良い新聞とは何か、信頼できる報道とはどうあるべきか。それを忘れずにいたい。紙であれ電子であれ、大切なのは私たちの向き合い方である。ニュースをただ消費するのではなく、しっかりと読むという姿勢。それこそが今、問われるべき態度である。

ソン ウォンソ(Wonsuh Song, Ph.D.)
秀明大学 専任講師 / NKNGO Forum 代表

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