[コラム] 「独りで死にたくない」日本の高齢女性が刑務所に向かう現実と、韓国への示唆

日本の高齢女性が、生活苦や孤立感から軽微な窃盗を繰り返して刑務所へ入ろうとする事例が、海外メディアでも報じられている。その背景には「一人きりで死んでいくより、刑務所の方が人の目があり、最低限の安心を得られる」という厳しい現実があるという。こうした話は日本国内でも衝撃をもって受け止められているが、実は、韓国社会にとっても対岸の火事ではないように思える。

韓国も少子高齢化が加速し、核家族化が進むなかで、独居老人の数が急速に増え始めている。長く“大家族”の伝統を持つ国だというイメージがあるかもしれないが、都市化と経済成長に伴い、親子世帯同居の文化は急速に崩れつつある。その結果、年老いた親と離れて暮らす子どもが増え、さらには子ども自体がいない人も多くなった。日本の高齢者が“刑務所”を最後の拠り所に感じるようになったのと同じ構造が、今まさに韓国でも生まれつつある。

韓国では独り暮らしをする高齢者の“孤立死”が社会問題化し、ニュースで報道されることが少なくない。施設に入るだけの経済力がなく、十分な公的支援にアクセスできない高齢者たちは、日本のケースと同様に「生きるための下支えがほとんどない」状態に追い込まれる。そこに、家族や地域からのサポートが乏しければ、心身ともに疲弊していくのは自然な流れかもしれない。今はまだ、刑務所に“安定”を求める高齢者が韓国社会で大きくクローズアップされるまでには至っていないが、少し先の未来を想像すれば、この日本の事例が韓国の姿とも重なって見える可能性は高い。

実際、韓国社会でも生計困難を理由に軽微な犯罪を犯し、服役を繰り返す高齢者のケースが全くないわけではない。ほんのわずかな窃盗行為によって収監され、「刑務所の中の規則正しい生活のほうが楽」と語る高齢者のエピソードが紹介されたこともある。これを個人のモラルや家庭の問題だけで済ませてしまうのは簡単だが、その根底にあるのは日本と同じく「老後を支える仕組みの不備」であり、そのゆがみが刑務所をあたかも福祉施設の代替のように見せている点が深刻だ。

では、なぜこうした事態に至るのか。その理由として、まず韓国の公的年金制度は必ずしも十分ではなく、受給額で日々の生活に必要な出費を賄うには限界があることが挙げられる。加えて、家族形態の変化によって身近に世話をしてくれる存在がいなくなると、地域のコミュニティや行政が気づかないまま高齢者が孤立してしまう。そして、限られた所得や貯蓄を切り崩しながらなんとか生き延びていても、ひとたび病気や事故があればあっという間に路頭に迷う可能性がある。そうした不安が重なれば、「生きるか死ぬか」の瀬戸際で、窃盗などの軽犯罪に及ぶことを“最後の手段”と考える人が出てきても不思議ではない。

日本の超高齢社会が韓国に投げかける警鐘はまさにここにある。家族だけに負担を押し付けるのではなく、公的年金や生活保護、さらには地域福祉やボランティアネットワークなど多面的な支援体制を整え、孤立を防ぐ取り組みを強化しなければならない。高齢者が社会の片隅に取り残され、“独り死”を恐れた末に刑務所を選ぶような事態がもし韓国でも常態化するならば、それは単に個人の問題にとどまらず、社会全体の制度設計と価値観が問われる深刻な事態だろう。

日本の例を“他国の極端なケース”として片付けるのではなく、近い将来、韓国も同じ状況に陥る危険があると考えるべきだと思う。むしろ、日本の現状は韓国にとっての「未来予想図」に近いものかもしれない。日本では、高齢女性受刑者の大半が窃盗罪で入所しているという。韓国がその轍を踏まないためには、経済的・心理的に追いつめられた高齢者をどうやって早期に支援するか、そして受刑後に再び孤独へ逆戻りさせないためのセーフティネットをどのように作るかが大きな鍵になる。

刑務所が“終の住み処”として意識される現実は、あまりに悲しい。少子高齢化はもはやアジア各国で共通の悩みであり、韓国もいち早く社会全体で対策を講じる時期に来ているだろう。誰もが家族の有無や経済的事情にかかわらず、人とのつながりのなかで尊厳をもって老後を送る社会――それを実現できるかどうかが、今後の韓国の未来を左右する大きな試金石になるのではないだろうか。

ソン ウォンソ (Ph.D.)
秀明大学学校教師学部 専任講師
早稲田大学教育学部 非常勤講師
東京大学空間情報科学研究センター 客員研究員

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