コラムニスト ソン ウォンソ / NKNGO Forum代表・秀明大学専任講師
大学を卒業してから日本に移り住んだ自分は、日本の保育園や幼稚園、小中高の教育現場を直接経験しないまま子どもを育て始めたのである。自分が受けてこなかった教育を、子どもを通じて間接的に知るうちに、日本社会や文化を改めて深く理解するきっかけを得たのだ。
17年間住んでいたつくばを離れ、東京へ引っ越すことになったとき、転校先で保護者同士の交流手段を探していたところ、PTA合唱団に参加することにした。人前で歌う経験はまったくなかったが、初めて会う人々と息を合わせて歌うことは新鮮であり、貴重な体験であった。
このPTA合唱団は毎年合唱コンクールに出場している。自分が最初に練習した曲は「群青」という合唱曲である。東日本大震災で大きな被害を受けた中学校の卒業生たちが作詞し、教師が作曲した。楽譜もあまり読めず、歌が前に戻るタイミングもわからず当初は戸惑いが多かった。しかし何よりも歌詞の内容が切なく、練習中に胸が詰まる瞬間がしばしばあった。
震災当時を思い起こすと、幼い子どもを抱えながら味わった混乱や、原発事故の影響による食品への不安、そして毎日のように流れた不安なニュースに揺れ動いた記憶がよみがえる。合唱練習で曲を歌うたびに、あの頃の生活や感情がありありと蘇り、涙をこらえられないこともあったのだ。
あれから14年が経ち、3月11日になると日本中が追悼の雰囲気に包まれる。自分もあのときの状況を改めて思い返し、放射能への危機感や多くの被災者がいまだに不自由な生活を余儀なくされている現実、さらに年月とともに徐々に風化していくもどかしさを実感している。一方、1995年の阪神・淡路大震災においても追悼は続いており、度重なる自然災害の教訓を今に伝えようとする文化がこの社会に根づいているのだと痛感する。
今年は息子も小学校を卒業し、自分のPTA合唱団での活動は一区切りとなった。しかし、合唱団で味わった「声を合わせる」という経験は、日常の些細な癒やしから大きな災害まで、人々が互いに支え合う日本の価値観を学ぶ貴重な機会でもあった。自然災害の多い国であるがゆえに、人々の性格や文化に慎重さや連帯感が浸透しているのではないかと思う。
時が経つのは本当に速い。しかし、大地震による傷跡や人々の心の痛みが完全に消えたわけではない。「またいつ大きな地震が来るかわからない」という不安は拭えないが、それでも「備える」ことと「互いに手を取り合う」ことを意識し、日々を積み重ねていくしかないのではないだろうか。
3.11から14年、あの日を改めて思い起こすとともに、これから起こりうる自然災害の重みを改めて感じている。私たちの暮らしは、いつ崩れてもおかしくない不確実性の上に成り立っている。そのことを決して忘れてはならない。だが、その不安定さの中で合唱のように声を合わせ、互いに耳を傾け支え合う努力こそが、未来へ歩む力になるのではないかと信じている。
過去を追悼し、記憶することは未来を築く礎でもある。
合唱がもたらすあの響きのように、多様な声を結集し、お互いに耳を傾け合うことで、よりよい明日へと進んでいきたいものである。
群青
作詞 福島県南相馬市立小高中学校 平成24年度卒業生
作曲 小田美樹(福島県南相馬市立小高中学校 教諭)
ああ あの街で生まれて君と出会い
たくさんの想い抱いて 一緒に時を過ごしたね
今旅立つ日 見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず
「またね」と手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる 君の笑顔今でも忘れない
あの日見た夕日 あの日見た花火
いつでも君がいたね
当たり前が幸せと知った
自転車をこいで 君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば 群青に染まる
あれから二年の日が 僕らの中を過ぎて
三月の風に吹かれ 君を今でも想う
響けこの歌声
響け遠くまでも あの空の彼方へも
大切な全てに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に
希望が光ってるよ
僕らを待つ群青の街で
ああー
きっとまた会おう
あの街で会おう 僕らの約束は
消えはしない 群青の絆
また 会おう
群青の街で
