四季の恵み:紅葉に込められた感謝の思い

秋が深まるとともに、大学キャンパスは黄色に染まった紅葉で彩られていきます。変わりゆく空の色、心地よい風、足元を覆う落ち葉のじゅうたん。これらは、四季の変化がもたらす美しさそのものです。しかし、この景色を目の当たりにしながら、ふと思いました。私たちはこの四季の移ろいを、どれほど感謝し、喜んでいるのだろうかと。

この考えが浮かんだきっかけは、香港に住む友人の話でした。彼女は紅葉を見にわざわざ日本までやってきたのです。仕事を休み、貯めたお金を使って飛行機に乗り、いくつもの場所を巡りながら紅葉を堪能したと言います。「東京の紅葉も素晴らしかったけど、地方はまた違った魅力がある」と興奮した様子で話してくれました。その熱意に感心せずにはいられませんでした。

それに比べて、私はどうだったでしょうか。「紅葉を見に行こう」と考えたことすらありませんでした。紅葉はいつも身近にあるもので、当然の景色だと感じていたからです。それどころか、落ち葉の掃除をする人々の苦労や、銀杏の実の臭いに悩まされることが先に思い浮かびました。しかし、友人の話を聞いて気づいたのです。私たちにとって当たり前のものが、他の人にとっては特別な体験であるということに。

日本や韓国のように四季がはっきりと分かれている国では、季節ごとの変化が生活の一部になっています。春には桜が咲き、夏には蝉が鳴き、秋には紅葉が色づき、冬には雪が降ります。しかし、こうした変化のない国に住む人々にとって、これらの風景はまるで絵本や映画のように感じられるのかもしれません。そして、それを一目見るために、時間もお金もかけて旅に出るのです。

問題は、私たちがこうした自然の恵みを当然視し、その価値を忘れてしまっていることです。紅葉はただの落ち葉になり、冬の雪は除雪という面倒な仕事にしか見えないこともあります。しかし、私たちの日常の景色が、他の人にとっては羨望や感動の対象であるという事実を思い出す必要があります。

この秋、私は感謝の大切さを改めて感じました。紅葉の美しさも、落ち葉の舞う風景も、そして季節ごとの変化も、決して当たり前ではありません。それは私たちに与えられた贈り物であり、立ち止まってその価値をかみしめるべき瞬間です。

もしこの秋、紅葉を見に行く予定がないなら、周りを少し見渡してみてください。色づいた木々や足元の落ち葉、澄んだ空気の冷たさを感じてみましょう。私たちにとって慣れ親しんだこれらの景色は、他の人にとっては夢のような光景なのです。この事実を心に留めながら、日々の中にある四季の美しさに感謝する秋を過ごしてみてはいかがでしょうか。

ソン ウォンソ
秀明大学学校教師学部 専任講師

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