先日、小学六年生の息子とともに久方ぶりに韓国を訪れたところ、息子が思わぬ感想を口にした。「韓国って、日本の未来みたいだね」。日本で生まれ育った子どもがそんな印象を抱くとは、わたしの世代にとっては驚きだった。
息子がそう感じた理由は単純である。街中で子どもの姿をほとんど見かけなかったからだ。実際、韓国の出生率は日本よりもさらに低いと言われている。少子高齢化対策が進められているはずなのに成果が目に見えない現状を目の当たりにし、「日本の先を行く姿」と捉えたのだろう。
さらに街では、スマートフォンに熱中するあまり青信号に変わっても渡り始めない歩行者への対策として、歩道に信号灯を埋め込むシステムを息子は目撃した。足元でも信号の色を認識できるように工夫されており、「日本でも導入されればいいのに」と感心していたのである。こうした実用的な対応の速さが「韓国のほうが未来都市っぽい」という印象を息子に与えたのだろう。
振り返れば、かつて韓国は日本文化を積極的に吸収していた時代があった。しかしいつの間にか日本を上回るスピードで社会が変化し、技術や文化、社会制度の多くの面で「韓国が先を行っている」というイメージが生まれている。高額な学習塾や高騰する不動産価格などが重なり、競争社会と学歴偏重文化が拍車をかけた結果、出生率が下がるのもある意味必然なのかもしれない。
だからこそ、小学生の息子が「韓国は日本の未来みたい」と感じたことには大きな示唆がある。かつては韓国が日本を学ぶ立場だったが、いまや日本が韓国の動向から未来の社会課題やその解決策を探る可能性が見えてきた。もちろん国ごとに事情は異なるが、少子高齢化やデジタル社会への迅速な適応など、共通する方向性は多いのではないか。
息子の発言は、わたしたちが迎える近い将来を考えるきっかけになった。「日本の未来」として韓国の姿をどう捉えるか。今後の議論や対策のヒントを、すでに動き出している隣国の状況から見いだせるかもしれないのである。
ソン ウォンソ (Ph.D.)
秀明大学学校教師学部 専任講師
早稲田大学教育学部 非常勤講師
東京大学空間情報科学研究センター 客員研究員
