[コラム] AI時代に代替できないもの

最近の世の中はまさに「AIブーム」と言っても過言ではないほど、人工知能技術が急速に進化している。新たな手法で制作された音楽や映像コンテンツが、あちこちにあふれているのだ。数回のクリックだけでAIが自動的にショート動画を編集したり、音楽を作り上げたりすることもできる。実際、筆者が感じるところでは、人間よりも正確な音程やリズムで曲を再現できるようになったのではないかと思う。しかし、このように「完璧」に近い人工の音楽を聴いても、心の奥深くから本物の感動を得るのは次第に難しくなっているように感じられる。

筆者は先日、電車の中で『木綿のハンカチーフ』を女優がリメイクしライブで歌う映像を偶然目にして、不意に胸が熱くなり、涙がこぼれてしまった。何気なく耳にしていた曲が、ある瞬間に胸を打ち、涙を誘ったのである。この経験をきっかけに、毎日一曲でも「人間が直接歌う曲」をライブ映像で探して聴いてみようと思った。音響機器による「つぎはぎ」だらけの人工的な声ではなく、多少のミスがあったとしても、人間の体と呼吸から直接生まれる音をあらためて感じたかったからだ。

最近では、日本の人気アーティストYOASOBIの『夜に駆ける』のライブ映像を観た。それまではミュージックビデオや音源でしか聴いたことがなかったが、ライブ映像を初めて見たとき、その感動はとても大きかった。ステージの空気感、刻々と変化する雰囲気、そして歌い手が声を出すたびに伝わる振動や息遣い——これらすべてが、その瞬間ごとに生き生きと動いているように思えた。やはり、この部分こそがAIには容易に真似できない、人間ならではの領域ではないだろうか。

AIが生み出す音楽がいくら完璧で効率的だとしても、「人間の声がもたらす微妙な震え」を完全に置き換えることはできるだろうか? この疑問は音楽だけにとどまらない。最近、アメリカではメディア業界や公務員組織で大量解雇が進み、多くの専門職が代替される可能性が高まっている。単純な文書の処理や、教科書・問題集の作成、旅行ガイドブックの編集といった作業でさえ、すでにAIが相当な部分を担えるようになっている。いわゆるホワイトカラーの労働現場から、人間の居場所が徐々に失われていく様相を呈しているのだ。

しかし、こうした状況でも依然として消えない分野がある。人間だけが与えられる「直接的な感動」や「心の癒し」を必要とする職業だ。人の体を直接治療する医師や看護師、機械装置を手で修理するエンジニア、人の顔や髪を整える美容師、手技を通じて行うマッサージやカウンセリングなど、肉体的・精神的に「人の手」を求める仕事である。こうした、人間の五感を基に成り立つ分野は、少なくとも当面は代替が難しいだろう。

もちろん、AIが作り出す人工的な音声や画像、動画を楽しむことは、今では私たちの日常に自然に溶け込んでいる。業務の効率化や、繰り返し作業からの解放など、多くの利便性を享受できるのも事実だ。しかし、それでもなお、人と人とが触れ合うことで得られる共感や感動は消えない。むしろ、AIによる「人工的なコンテンツ」があまりにも簡単に大量生産されるようになると、人の手で作り上げられた作品やサービスが、より一層尊く感じられる可能性も大いにある。

これから到来する職業世界の中で、私たちはどのような選択をすればよいのだろうか。AIを適切に活用しつつ、人間ならではの情緒的・感覚的な価値を提供できる領域に焦点を当てることが、生き残りの戦略として有効になるのではないだろうか。どんな職業であっても、「AIでは代替しにくい真実味」や「人間的な手触り」を含んでいるならば、その存在理由は消えないだろう。ある人は心で歌を歌い、ある人は指先を通して人に触れる。AIがどれほど進化しても、この特別な感動を簡単には模倣できないと信じている。

このように、私たちの社会が急速に変化していく今、真に重要なのは「何になるか」ではなく「どうやって人間らしさを保ちながら生きていくか」かもしれない。新しい技術と共生しながら、それぞれの能力をより良い形で発揮していくのは、私たち一人ひとりの課題である。ただ一つ確かなのは、人間が持つ温かな感情や共感だけは、今後どんな存在にも、どんなものにも完全に置き換えることはできないだろうということだ。

ソン ウォンソ (Ph.D.)
秀明大学学校教師学部 専任講師
早稲田大学教育学部 非常勤講師
東京大学空間情報科学研究センター 客員研究員

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