親子関係を良好に保つことは、すべての家庭に共通する課題である。しかし子どもが勉強を避け、心を閉ざす理由を本気で探る親は意外に少ない。教育現場で学生を見続け、周囲の事例を観察した結論は明快だ。子どもは言葉ではなく、家庭の日常風景から影響を受けるのである。
現代の若者はSNSという終わりなき比較装置の中で生きている。「昔は皆貧しかった」と説く親の回顧録は、彼らのリアリティと噛み合わない。そこで叱責を浴びせれば、子は「親は私の苦悩を理解しない」と感じ、心を閉ざす。まず必要なのは条件なき共感である。「今日はつらかったね」と感情を受け止めるひと言が対話への扉を開く。助言はその後で十分だ。
次に求められるのが成功概念の再設計である。海外名門大学だけを金科玉条とすれば、親子の物理的・心理的距離は拡大しかねない。一方で、ブランド校ではなくとも自立心と協力性を共有する家庭は高い満足度を示す。親子が共に成功の定義を書き換えるとき、両者は競争者から協力者へと変わる。
経済構造の変化により、三十代半ばでも親に依存する「カンガルー成人」が増えている。依存自体が悪ではない。問題は役割と期限の不透明さである。家事分担、生活費負担、独立時期を明確にせず放置すれば、負担と不満は雪だるま式に膨らむ。独立は家族全員のプロジェクトと位置づけ、進捗を共有し合うことが関係の摩耗を防ぐ。
最後に、親子関係を支えるのは小さな儀礼の継続だ。毎日の15分対話、週末の散歩、読書感想の短い討論、時折の手書きメッセージ―これらは衝突時のクッションとなり、基礎温度を保つ。今夜はテレビを消し、子どもの隣で静かに本を開こう。ページをめくる音が、「私はいつでも君の味方だ」という最も強いメッセージとなるはずだ。
ソン ウォンソ(Wonsuh Song, Ph.D.)
秀明大学 専任講師 / NKNGO Forum 代表

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