教育とは知識の一方向的伝達ではなく、学習者の潜在能力を開花させる総合的営為である。教員養成に携わる立場として、「いかなる人物が教員に適しているか」という問いを絶えず検証する必要がある。MBTIの調査によれば、内向型と外向型は世界的にほぼ同率で分布している。それにもかかわらず、学校現場では「活発でカリスマ性ある教員こそ理想」という固定観念が根強い。採用試験、評価制度、保護者の期待に至るまで、この狭隘なイメージが教職を窮屈にしている。
しかし学習者集団が多様であるように、教員集団も多様でなければならない。外向型教員が教室に活気と推進力をもたらす一方、内向型教員は細やかな観察眼と深い共感力により控えめな生徒を掬い上げる。問題行動を示す生徒や個性の強い生徒には、規律を保ちつつ温情を示せる教員が必要だ。人格スペクトルの全容を認める体制が整ってこそ、学校はすべての学習者が成長できる場となる。
教育実習生にとって“初回授業”は極めて決定的である。最初の45分間で「この先生は侮れる」と生徒に判断されれば、その後の授業運営は著しく難航する。内向型であっても初回には確固たる専門性とリーダーシップを示さねばならない。具体策として、①発問中心型の構成で双方向性を確保する、②声量・アイコンタクトなど非言語的メッセージを訓練する、③評価基準と行動規範を冒頭5分で明示する、等が挙げられる。周到な準備と厳格な規則こそ「油断されない教員」を形成する。
教員養成課程は性格特性ごとの強みを体系的に伸ばすべきである。内向型には「対話スクリプト演習」を通じた即興的応答訓練を、外向型には「傾聴ラボ」や内省ジャーナルを課し、深い自己洞察を促す。目的は性格を改変することではなく、本来の資質を起点に教育スキルを拡張する点にある。
生徒側も同様である。友人の多寡で学業や人生の成功を測ることはできない。人間関係が豊富でも孤独を抱える者がいれば、少数の友人で安定を得る者もいる。教員は「友達を増やすべき」という画一的基準を捨て、生徒が興味・才能・価値観を発見できるよう伴走する必要がある。そのためには相談時間を確保し、具体的進路助言を行い、必要に応じて地域・専門機関と連携した多層的支援網を整備すべきである。
教員自身の精神的レジリエンスも看過できない。未成熟な生徒の言動は時に教員を傷つける。これを防ぐには、①教員間の水平的メンタリング体制を構築し、②感情労働対策を含む研修を定期的に実施することが不可欠である。これこそ教職の持続可能性を高める安全弁だ。
結局、理想的教員像は特定MBTIコードや外向的イメージに回収されない。生徒の多様性を尊重し、初回授業で明確な専門性と統率力を示し、長期的に情緒的支援を提供する―この三本柱が均衡を成したとき、“良い教師”が実現する。教員と学習者が共に成長する地点にこそ、教育の真価は宿るのである。
ソン ウォンソ(Wonsuh Song, Ph.D.)
秀明大学学校教師学部 専任講師 / NKNGO Forum 代表

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