[コラム] レポートを採点しながら、学期の終わりに思うこと

8月初旬、日本の大学では学期末の慌ただしさが本格化する。教員は成績の入力に追われ、学生たちはレポート提出の締切に向けて最後の努力を重ねる。毎年繰り返される光景だが、今年のレポート採点では特に印象深い提出物がいくつもあった。

スマートフォンのメモ帳に入力した文章をスクリーンショットで提出する学生、さらにはそのメモ帳をスクロールする様子を画面録画して動画として提出する学生もいた。「これがレポートなのか?」と驚かされる場面が少なくなかった。

AIの活用も目立った。ChatGPTで生成したような文をそのまま貼り付けたり、GammaやPreziなどのツールで視覚的に整えたスライドを提出する学生もいた。ツール自体に問題があるわけではないが、それらが自身の思考を伴わず、単なる体裁を整えるだけの手段になってしまっているなら、それは学びとは呼べない。

私は一貫して試験よりもレポートを重視している。なぜなら、レポートは調査・構成・表現という一連のプロセスを通じて、深い理解を促すからである。しかしながら、最近はこのプロセスを省略し、道具に依存する学生が増えているように感じる。特にコロナ禍で中高時代を過ごした世代には、自主的な学習経験が欠如している傾向がある。

それでも、今学期には多くの成果があった。動画制作の授業では、受講生全員がYouTubeチャンネルを開設しYouTuberになった。単に動画を作るだけでなく、コンテンツ制作者の視点に立ち、視聴者のニーズを分析する経験、そして将来教員になった際に、自身の教科を面白く、かつ有益な内容として構成する力を養うことができたのは、非常に大きな成果であった。

また、アメリカの大学生とのオンラインディスカッションも印象深い出来事だった。異なる文化圏の学生と直接意見を交わすことは、授業を超えて、学生の視野を広げる貴重な経験となった。

成績の入力を終え、今は研究と執筆に集中する時間である。教員に与えられた「夏休み」は、単なる休息ではなく、次の学期に備える大切な準備期間である。今学期も多くの挑戦と成果があった。学生たちは真剣に取り組み、私自身も全力を尽くした。

秋にはまた、新しい学生たちとの出会いが待っている。再び動画レポートが提出されるかもしれないが、その中に込められたたった一つの「本気の一文」を、私はまた静かに待ち続けるだろう。

ソン ウォンソ(Wonsuh Song, Ph.D.)
秀明大学 専任講師 / NKNGO Forum 代表

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