[コラム] 創造性が芽吹く瞬間 ― 日本の大学教室で見た小さな革命

大学の授業で学生の発表を見ることは日常の風景である。だが先日、私の授業で起きた出来事は、その日常性を一気に覆した。ある学生が「創造性」という概念を文字通り形にしてみせたのである。彼は発表の冒頭でごく普通のBGMを無限ループで流した。しかし本当の実験はその先にあった。別の端末でAI音声を立ち上げ、発表者の“相手役”を作り出したのである。学生はAIと対話しながら発表を進め、その構成は小さな演劇作品のようであった。

今日の大学では、発表中であってもスマートフォンを見たり別の作業をしたりする学生が少なくない。だが、この日は空気がまったく違っていた。全員が開始から終了まで集中し、私自身も視線を外すことができなかった。これは単なる「上手な発表」ではなく、従来の発表形式そのものを揺さぶる小さな革命であった。

こうした創造性は偶然生まれるものではない。私は過去2年間、学生に繰り返し伝えてきた。「形式にこだわらずやったことのない方法で発表してみなさい」と。
理由は明確である。私の学生は将来、中学・高校の教員になる者たちである。彼らが向き合う世代は高度なデジタルコンテンツに慣れ親しんでいる。教師が一方的に語る授業では注意を引くことができない。次の世代と対話するためには、教師自身がまず“伝え方の革新”を実践しなければならないのである。

今回の発表が際立っていたのは、AIが作った原稿を読むのではなく、学生自身が構成を組み立て、物語を作り、AIとの対話形式という新しい枠組みを創造した点にある。これは資料の分析・再構成が伴わなければ成し得ない作業であり、創造性の核心そのものである。

昨年度は授業に音楽を導入してアイスブレイクを行い、学生全員に動画制作を課し「一度はユーチューバーになる経験」をさせた。今年はAIコンテンツ制作を導入したが、具体的なツールや使用法は意図的に教えなかった。「中学2年生が最後まで集中できるコンテンツを作りなさい」という一つの方向性だけを提示したのである。その後の解釈と挑戦は学生に委ねた。

今回発表したのは3年生である。彼らが教壇に立つ頃、現場では確実に変化が生まれるだろう。創造的な教師一人は授業を変え、その授業は生徒の姿勢を変え、やがて周囲の教師にも影響を与える。学校改革とは、結局のところ「人」から始まるのである。

長年同じ方法で授業を行ってきた教員に突然AI授業や新形式を求めることは現実的ではない。ゆえに変革は教員養成の段階から始めるべきである。遠回りに見えて、実はそれが最速の道である。

こうした小さな試みが幾重にも重なっていくとき、日本の教育に染み付いた惰性がわずかに揺らぎ、その隙間から新たな変化の気配が静かに流れ込むと私は考えるのである。

ソン ウォンソ(Wonsuh Song, Ph.D.)
秀明大学 専任講師 / NKNGO Forum 代表

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